2018年06月21日
モンゴル滞在記(中)
モンゴル滞在記(上)は初日と2日目の備忘録だったけど、今回は3日目の備忘録。
この日も午前中は前日と同じ郊外の大草原へ。用務終了後はウランバートル市郊外にあるダンバダルジャーへ。目的地は、日本人慰霊碑。
第2次世界大戦後、ソ連によってモンゴルの地に抑留され、その後に死亡した日本兵の慰霊碑がある場所。
冒頭の写真の真ん中右側、青と白に塗られた建物の中へ。
中に入ると、観音様が中央に鎮座し、多数の献花やお供え物として日本のお菓子類の袋が置いてあった。
私も日本円でお賽銭を置き、先人の辛苦を慰霊。
観音様の周囲には、政治家の訪問時に撮影された写真とともに、自衛隊関係者からの献花で覆われている。夏季には、日本人の訪問も増えているらしい。
冒頭の写真で施設の最深部に位置する線香台。
慰霊碑の上部は吹き抜け構造になっていて、魂が昇天するという意味合いと、円形構造により太陽の光で日の丸を描き出すらしい。
日本語の解説文。
平成13年(2001年)10月15日竣工。
大戦後のシベリア抑留はよく知られているところだが、モンゴル抑留の事実も忘れてはならない。
慰霊碑最上段から見下ろした光景。
中央にはモンゴル国を象った石碑が置かれている。
周囲の壁の設計構造から、声を発すると響いて聞こえる不思議な空間。
石碑には、各地に点在した抑留施設を示す印とともに、祖国へ帰還できなかった死者を労るように日本の方向が明示してある。
分別を明示したゴミ箱が置かれているのは、日本が建設した施設らしい配慮。
右側は、この慰霊碑の管理を委託された現地の人々の居住区。青い屋根は管理棟、水色の壁の家は居住用。近くにある白い色のゲルも当然居住区。
この日は朝からガイドが今年2回目と言っていた大変珍しい雨天で肌寒い天候。
しかし慰霊碑を訪問する頃には天候が回復し、晴れ間も覗いていた。
郊外なので市内中心部からは少し遠いけど、モンゴル旅行の邦人には是非一度訪れてもらいたいスポット。
<参考>
※2018年6月19日「モンゴル滞在記(上)」
※2018年6月24日「モンゴル滞在記(下)」
この日も午前中は前日と同じ郊外の大草原へ。用務終了後はウランバートル市郊外にあるダンバダルジャーへ。目的地は、日本人慰霊碑。
第2次世界大戦後、ソ連によってモンゴルの地に抑留され、その後に死亡した日本兵の慰霊碑がある場所。
冒頭の写真の真ん中右側、青と白に塗られた建物の中へ。
中に入ると、観音様が中央に鎮座し、多数の献花やお供え物として日本のお菓子類の袋が置いてあった。
私も日本円でお賽銭を置き、先人の辛苦を慰霊。
観音様の周囲には、政治家の訪問時に撮影された写真とともに、自衛隊関係者からの献花で覆われている。夏季には、日本人の訪問も増えているらしい。
冒頭の写真で施設の最深部に位置する線香台。
慰霊碑の上部は吹き抜け構造になっていて、魂が昇天するという意味合いと、円形構造により太陽の光で日の丸を描き出すらしい。
日本語の解説文。
平成13年(2001年)10月15日竣工。
大戦後のシベリア抑留はよく知られているところだが、モンゴル抑留の事実も忘れてはならない。
慰霊碑最上段から見下ろした光景。
中央にはモンゴル国を象った石碑が置かれている。
周囲の壁の設計構造から、声を発すると響いて聞こえる不思議な空間。
石碑には、各地に点在した抑留施設を示す印とともに、祖国へ帰還できなかった死者を労るように日本の方向が明示してある。
分別を明示したゴミ箱が置かれているのは、日本が建設した施設らしい配慮。
右側は、この慰霊碑の管理を委託された現地の人々の居住区。青い屋根は管理棟、水色の壁の家は居住用。近くにある白い色のゲルも当然居住区。
この日は朝からガイドが今年2回目と言っていた大変珍しい雨天で肌寒い天候。
しかし慰霊碑を訪問する頃には天候が回復し、晴れ間も覗いていた。
郊外なので市内中心部からは少し遠いけど、モンゴル旅行の邦人には是非一度訪れてもらいたいスポット。
<参考>
※2018年6月19日「モンゴル滞在記(上)」
※2018年6月24日「モンゴル滞在記(下)」
Posted by shin1979 at 12:30│Comments(0)
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